お仕事と休みと転職の話
こんにちは。いさなです。
病院から付き添いの方を待ちつつ書き込んでいます。
仕事、やめることにしました。
転職かどうかはおいといて、それが一番だと思ったから。
私は障害者として扱われていない
以前述べたように、私は「障害者と言うには健常者に近すぎ、健常者というには障害がある」存在です。
それ故に、いろいろと求められてきました。
私自身もいろいろと脳疲労を起こしたら休憩、という配慮をしていただきましたが、もう肉体がついていきません。
だから、壊れる前に辞めるのです。
身の丈にあった仕事を探す
私みたいなあり方をしている人は沢山いると思います。
じゃあどうしたらよいかって、
「自分に合った仕事を探す」
これのみです。
私の職場には、私とは違った形の発達障害で働き続けている人がいます。
体力があれば、私も続けられたかもしれません。
実家住みだったら、続けられたかもしれません。
でも無理なもんは無理です。
無理矢理自分をカタにはめなくていい
社会は常に常識という「形」に人をはめようとします。
そして私達は、社会が求める鋳型に、合わなければ自分を無理やり変形させようとします。
それは果たして正しいことなのでしょうか。
たとえば私が今の仕事をもう辛い、苦しいと叫ぶ心を無視して、つづけるとします。
偉いねと誰かは言ってくれるでしょう。
ですが、誰も救ってはくれません。
無理やり鋳型に自分をはめこんで、心を無視した先の破滅
それを私は知っています。
特に自分が、障害者と言うには健常者に近すぎて、健常者というには障害があるという、微妙な存在であるが故に。
マジョリティである健常者であれば、鋳型に自分を変形させるのは容易いかもしれません。
マジョリティにはそれだけ合わせやすい鋳型がたくさんあります。
(勿論、苦しんでいる健常者の方がたくさんいることも分かっています)
ですが特にマイノリティである私達には、合わせやすい鋳型がまだ少ないのです。
かといって、無理に合わせすぎるのは、自己の破滅を招くと同時に社会に鋳型が増えないということでもあります。
自分を大事にすることは鋳型を増やすこと
幸い、私には今転職のチャンスがいくつか転がり込んでいます。
そっちにちょっとのってみようと思います。
もしかしたらお医者さんにはまず休め!といわれるかもですが。
待ち時間が長い…