発達障害を知らなかった頃の昔話②~私たちをとらえる「価値」基準~
こんばんは。いさなです。
仕事で意思と体の糸がプッツンしたので明日休みを取ってきました。イェイ。
今日は幼少期にかえってのお話。
- 発達の遅い私を親は私をまともにしようと躍起でした
- 大人になってからも
- その結果
- 親の価値は「仕事」と「成績」だった。
- ザ・乖離セルフカウンセリング(すんごく真似してはいけない)
- 私たちをとらえている「仕事」という価値基準
発達の遅い私を親は私をまともにしようと躍起でした
いさな「時計理解できねえ」
母親「何でわからないの!」(ひすてりーっく)
いさな「算数理解できねえ」(小学1年生)
父親「こうやって解くんだ」(注意:一次方程式)
いさな「理解できねえ」
父親「なぜわからない!!」(ひすてりーっく)
な育ち方をしました。
親自身が安心した子供時代を送ることのできなかったアダルトチルドレンゆえの弊害だと思います。
結果、私は親を信用できない悲しい人間に育ちました。
いじめられるとか、自分に非がないこと以外は相談できませんでした。
大人になってからも
いさな「なんか愚痴る」
父親「うるせえ!俺たちの時代は23時まで働くのが当たり前だったんだ!」
母親「そのくらいよくあることよ」
いさな「そうか私が悪いのか」
とりあえず大体自分が悪いのだという間違った理解をしました。
その結果
・精神がぶっ壊れるまで働く
・仕事がきつい→買い物依存→親に相談するという選択肢が浮かばないヤバイ事態になる
という素敵な人間に育ちましたとさ。
何とか知り合いに発達障害を見抜かれ、障害者として生きていく道を見出すことで生きていますが、それもちょっと今きっついーってとこ。
親の価値は「仕事」と「成績」だった。
子供は親の生き方をなぞるものです。
とりあえずカウンセリングの本を読みつつ、きょうちゃん(いさなの乖離人格。最近家事が仕事になりつつある)に頼んでセルフカウンセリングしてたどり着いたのが親の価値観、「仕事」と「成績」という評価。
別にスパルタ親というわけでなく、「そういう育ち方」を親はして、そういう価値観を得たみたい。
それを私が引き継いでしまったようです。
ザ・乖離セルフカウンセリング(すんごく真似してはいけない)
きょうちゃん「なるほどなるほど。親のために生きてきたわけですね」
いさな「そうなんですか」
きょうちゃん「親の育ちのお話を聞くと他者、特に仕事や学校での評価が目立ちますね。ぶっ壊れるまで頑張るあたりいさなさんもそれを引き継いでいるように思います」
いさな「おぅふ。確かに、「明日休みください」といったときに上司に向けられた目が怖かったです。
きょうちゃん「それが言えるだけ成長ですよ。いさなさんは仕事で自分をどう思ってるんですか」
いさな「頑張ってると思います。ミスも少ないです。でも信用はありません」
きょうちゃん「なんでですか」
いさな「すぐ休むから?」
きょうちゃん「じゃあ、今から仕事以外の評価を10個あげてください」
私の長所(すんげー無理やり)
・たぶん優しい
・研究家
・クッソ真面目
・実行力がある
・文章が得意
・絵が得意
・探求心の塊
・何でも試す。自分の体で試す。
・好きなことにはとことん打ち込める
・誰かを喜ばせるの大好き
一部変なものもありましたがざっと。
きょうちゃん「あるじゃないですか。つまり仕事だけの価値にとらわれる必要ないんですよ」
きょうちゃん「もちろん、仕事も価値の一つです。
でも、その中で一番あなたが生かしやすいものを選べばいいだけで、今の仕事にしがみついて巻き返そうとか、そんな固執しなくていいんですよ。
それに、独立するんでしょ?」
だとさ。
私たちをとらえている「仕事」という価値基準
そりゃあ金になるからねえ。お金大事。仕事大事。
でも自分の価値が仕事だけにしか見いだせないって、悲しいですね。
私もきょうちゃんに言われて気づきました。
仕事も一つの価値。でもそれだけじゃない。
その「それだけじゃない」を知らなければ
仕事は続けられない。難しい世の中ですね。
なんちゃってセルフカウンセリングで少しすっきりした気はします。
が、明日はちゃんと付き添いと一緒に病院いってきます。