発達障害を知らなかった頃の昔話①
こんにちは。いさなです。
今日は自分の整理を兼ねて昔話をしようと思います。
こうして晒したがりの私はたぶん積極奇異型の発達で、露出狂なのかもしれません。
私は最初から何もできないと思っていた
私は幼いころから、なんとなく「きっと自分はまともには働けないだろう」と思っていました。
何をやっても人より遅れていて、理解できなかったからです。
親はヒステリックに私を「まとも」にしようと必死になりました。
だから、できるようになることより「不器用だけど頑張るけなげないい子」を演じることに無意識に注力してきました。
そしたらできなくても誰かが助けてくれるからです。
幼子の必死の知恵でした。
大学時代になるとそれは通用しなくなりました。
エントリーシートやら自己分析に書くことがない。
それらは大変苦痛でした。
だってアピールポイントとか書くことないもん。
短所しかないよ!!
だって、まともにバイトできた経験もないから。
それを現実で認識したのがコンビニでのバイトでした。
コンビニバイト
コンビニバイトは覚えることの多さに圧倒されました。
商品の補充、チケットの発行、公共料金の支払いetc…コンビニエンス(便利)なだけあってやることたくさん。
おまけに
店長「レジの金合わなかったらお前の金で補填な」
それ違法だけど、それがまかり通っちゃうって、怖いよ!!
やること多すぎてできるわけない。
私みたいな馬鹿が覚えきれるわけがない。
そして私は絶対間違える。みんなの足を引っ張るお荷物になる。
自分で抱えた重圧に耐えきれずに、私は4日で逃げ出しました。
自動車学校
コンビニバイトから時間を巻き戻して高校を卒業後へ。
私は卒業後、すぐに親に自動車学校に放り込まれました。
私は人をひき殺しかねないと思っていたので激しく抵抗しましたが、親にお金を出された後はさすがに無理でした。
「これで返すからやめにしてくれ!」っていうお金なかったし。
絶対足引っ張る…
結果は予想通りでした。
教官A(困った顔で)「まじめなのは分かるんだけどなあ」
教官B「君は人を殺さないとわからないんだろうね」
教官Bはさすがにへこみました。
コンビニバイトと同じパターンです。コンビニよりひどいかも。
私自身が思っていたことを教官が口に出してしまうレベルでド下手でした。
教官の教えを復習するもわからず、いろんな人に聞いて聞いて聞いていろいろ検証しまくり、理論を構築して、何とか免許をとりました。
その期間、四か月。超なげー。
いさな「免許とれた」
教官「嘘だろ!?」
このやりとりは今でも忘れられません。どんだけ無理だと思ってたんだよ!!
ちなみにこの時お世話になったのが
でした。
いろいろ励まされたりアドバイスを受けながら、運転について自分なりの理解と練習方法を編み出しました。
インターネットという場があって本当に良かったと思います。
インターネット環境だけは、親の職業的に幼いころから恵まれていました。
ネット上の多くの人の支えもあって私はペーパーじゃない事故のないゴールデンドライバーに成長しました。
あ、今度免許の更新にいかなきゃ。(忘れてた)
「発達障害」であることがもっと早くわかっていたら
今、何かが違っていたかもしれない。と思うことがよくあります。
私の発達障害の傾向を見抜いて病院をすすめてくれたのは親でもなく、全く別の人でした。
ちなみに正式に診断を受けても、親は受けて入れてくれませんでした。おのれ。
そして今さらになって気づいたこと。
私は全く何もできないわけじゃなかった。
そりゃあ勉強ができない子で、親も必死になったのはわかります。
でも、私にもお絵描きという大好きなこと、得意なことがあったんです。
絵だけは何度もいろいろ表彰されたり、学校のギャラリーに飾られたりしました。
文章もよく発表の題材に使われたりしました。
どうして自分でもこれを見落としていたのか。
「自分だめだから、絵が好きでも無理だし」と思い込んで、もっと絵がうまい人を見ては勝手にへこんで、を繰り返していたからです。
「文章?そんなのが金になるのはほんの一部の人だよ」とあきらめていたからです。
そして、学力こそが大切で、絵は二の次という親の教えを本気で信じ込んでいました。
でも、もし発達障害であることがわかっていたら、私はもっと私にわかりやすい形で勉強を教えてもらって、もっと早く絵に自分の人生をかけられたかもしれません。
「どうせ無理だから」とあきらめていなければもっと絵がうまかったかもしれません。
でも過去を悔いて憎んでのままでは変わりません。
私の絵は今でもつたないです。
でも一つのチャレンジとして、「樽はむ」というラインスタンプを作りました。
やってみたらすごくうれしかった
「樽はむ」のラインスタンプは私が初めて価値をつけて世に出した自分の絵です。
すごいガタガタの線ですね。
私はこれが審査でもを通って販売になったとき、すごくうれしかったです。
売れる売れないに関係なく、初めて自分の一歩を踏み出せたから。
樽はむにこめたのは、「居場所を大切にしながら自由に生きていくこと」です。
樽が居場所、中のハムスターは自由に顔を出したり時には外に出たりします。
樽に逃げ込むことだってあります。だって居場所だから。
フリーランスへ挑む
それが私の今の目標です。
だって私が一番やりたいことをするにはそれが一番だからです。
自分にとって、誰かにとっての励みになる文と絵をかく。
不思議と、樽はむを作ってから私はずっと重かった腰が軽くなって、本の編集を始めました。
文章自体はできているので、絵本になるように絵の用意が必要ですが。
この年でも大事なことに気づけたことに、チャレンジできることに感謝しています。
あれ?なんか昔話じゃなくなったようなそうじゃないような。
地雷はいっぱい抱えていますが、樽はむのようにマイペースに無理なく進めていこうと思います。
それでは。